「やさしく、あかるい」を評価する人は「むごい人」
やさしい
あかるい
幼いころから受けてきた評価。
まじめ
誠実
勤勉
大人びている、と人は評価する。
おとなしい
だから、幼いころから虐められてきた。
「自分が我慢したらいいんだ」
だから、他人には都合がよい人なのだ。
他人の意見に従わない
それはいけない事と思い込んでいた。
そして、他人の言う事をついつい受け入れる。
さらに、「自分が我慢すればいいのだ」と自分を納得させる。
それは「その人を傷つけたくない」という「やさしさ」なのだと人は評価する。
果たしてそうなのか?
幼いころに「自分」を認められると「自分への絶対的な自信」が生まれる。
しかし、「抑圧」されると「不安」と「怯え」が心を支配する。
父親、母親に認められない
それは、幼い子にとって「生きてゆけない」ことである。
だから、「お父さん、お母さんに嫌われたくない」と自分を抑圧する。
自分が「○○したい」という欲求を抑え込んでしまう。そして「自分が我慢すればいいのだ」と無意識の世界に欲求をしまい込む。親の言う事に従わないのはいけない事である、と「罪悪感」を心の中につくってしまう。
やがて、「誰に対しても嫌われたくない」という心が形成される。
誰にでも嫌われたくない
それは誰に対しても「不安」と「怯え」を持っているのである
「自分への絶対的な自信」が心の中にないので、「他人に依存」してしまう。
だから、
誰にでも「やさしくする」
誰にでも「あかるい」
嫌われたくないから
「まじめ」
誰にでも、認めてほしいから
「勤勉」
だから
「おとなしい」
「不安」と「怯え」、そして「罪悪感」が「他人に従ってしまう」心を生み出している。
虐められる人
ストーカーにあう人
DVの被害にあう人
騙される人
そんな人々の共通するのは、
やさしい、あかるい、素直、おとなしい、まじめ、勤勉
「支配」「独占欲」が強い人には都合が良い人である。
自分の気持ちを抑えて他人に従う。
自分の気持ちを「無意識の世界」に押し込み、閉じ込めてしまう。
それは、イヤでイヤでどうしようもなく「つらい」。
自分がなさけなくなる。
でも、心の中に形成された「罪悪感」が人への「憎しみ」を外の世界へ感情表現するのを抑え込んでしまう。「自分が我慢したらいいんだ」と。
「自分はダメなにんげんである」と「自己蔑視」してしまう。
「他人に従ってしまう」たびに、「憎しみ」が生まれる。
「憎しみ」を無意識に閉じ込めてしまう。
そして、そんな自分を憎しむ。
いつも「あの人は私をどう評価しているのか?」と「不安」と「怯え」「罪悪感」で思考してしまう。
いつも、心が落ち着かない。だから、「イライラする」。
あなたは「やさしい」ね
あなたは「あかるいね」
と評価するのはいいけれど、心の中の「苦しみ」を解かっていないのでは、「むごい」ではなかろうか。